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HOME  > 卒業生インタビュー  > No.69 池宮城 直美[舞台美術家]

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No.69 池宮城 直美[舞台美術家]

池宮城 直美(いけみやぎ・なおみ)旧姓:横田直美
舞台美術家
(2006年[2005年度]武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科卒業)

1984年栃木県生まれ。栃木県立茂木高等学校出身。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業後、演出部を経て2008年より舞台美術家 二村周作氏に師事。2014年独立後、幅広いパフォーマンスに舞台美術/衣裳として参加。2016年に文化庁新進芸術家海外研修制度によりイギリス、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校を主軸に、ロイヤル・ナショナル・シアター、シアター・ロイヤル・プリマス、他で1年間研修を行う。年間20本近くの舞台美術を手掛け、ときには舞台衣裳も担当する。
『GANTZ:L』と他2作品で第46回伊藤熹朔賞新人賞(2019)、2019年All Aboutミュージカル・アワードにて『花薗』がスタッフ賞受賞。
作品は、『町田くんの世界』演出:ウォーリー木下、『掃除機』演出:本谷有希子 、『赤と黒』演出:ジェイミー・アーミテージ、『サロメ奇譚』演出:稲葉賀恵 、『next to normal』演出:上田一豪、『キネマの天地』演出:小川絵梨子

Webサイト:https://www.naomi-ikemiyagi-design.com

【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2.『赤と黒』(2023)
3.大阪城天守閣復興90周年「大阪城夢祭」大阪楽市楽座(2022)
4『ダム・ウェイター』(2022)衣裳デザインスケッチ
5.『キネマの天地』(2021)

プロフィールを見る

舞台美術で「人間のすばらしさ」を表現したい

─ ムサビを選んだ理由をお聞かせください。

ムサビを選んだ理由と今の仕事を選んだ理由は直結していて、私がこの業界を目指したきっかけはバレエです。子供の頃から美しいものに惹かれモダンバレエを習っていました。そして高校生のときにボリショイ・バレエ団の『ドン・キホーテ』の舞台を観た時に大衝撃を受けたのです。ドン・キホーテが大きな風車に巻き込まれるシーンのダイナミックな動きに感動し、「舞台美術をやりたい!」とひらめいてしまった。それで美術の先生に相談したところ、ムサビの空間演出デザイン学科を教えてもらい受験を決意しました。もともと絵を描くのが好きで中学からデッサン教室にも通い、漠然と「美大に行き、油絵画家になりたい」と思っていたのです。でも舞台美術に目覚めて以来、今まで他の職業を考えたことはありません。

─ 大学時代の思い出は?

ムサビでの思い出は『劇団むさび』。役者もスタッフも一丸となってひとつの劇を作り上げるという体験は初めてでおもしろかった。2年生からは活動範囲を広げ、早稲田大学の演劇サークルにも所属していました。世田谷パブリックシアターのワークショップで「早稲田は学生演劇が盛んだ」と聞き、ある日ひとりで早稲田大学へ出かけてみたんです。あてもなくキャンパスを歩いていると大隈講堂の裏に演劇の部室らしきものを発見。たまたま声をかけた人が部員だったので、その人のいる『舞台美術研究会』に入ることにしました。それからは、ムサビの授業が終わると電車で早稲田に赴き、サークル活動のあと、夜に鷹の台に戻り、次の日またムサビという忙しい生活を繰り返しました。


劇団むさびでのサークル活動

また、研究室の助手さんから紹介された社会人劇団『¡OJO!(オッホ)』で、舞台美術をやるようになりました。当時はまだ20歳。新宿シアタートップスという小劇場で、演出家と話し合って何を作るかを決め、劇団の人と共にスケジュール、大道具、運搬、資金とあらゆる面の采配を振りお給料をもらえた初仕事でした。学生以外の人の中で、自分の不甲斐なさにショックを受けたり、泣いたり、悩んだりしながら、未熟なりにものすごく一生懸命でしたね。

─ 就活しなかったそうですが、卒業後の進路はどうされたのですか?

3年生の後半頃から舞台関連のアルバイトをするようになりました。紅白歌合戦の裏方スタッフなどもしたんですよ。その流れで卒業後はフリーランスで演出部や大道具の仕事をやっていました。裏方の何でも屋として舞台に携わり、地方ツアーなども楽しかったのですが、やはり自分はデザイナーになりたいのだと感じ、裏方は2年で辞めました。その後2ヶ月ほどヨーロッパを放浪してから舞台美術家になるために本格的に活動を始めました。

舞台美術家になるための教科書的なものはありません。師匠となる専門家のもとで仕事のやり方や技術的・美学的なことを覚えた方がいいと先輩からアドバイスを受け、二村周作氏に弟子入りし6年間学びました。


今でも時々開くという大切にしている参考書『Designer Drafting for the Entertainment World』

─ 弟子から独立したあと、ロンドンに1年間留学したのですね。

「文化庁の新進芸術家海外研修制度でロンドンに行く」と18歳の時に決意しました。師匠も他の多くの舞台美術家も同じ制度で海外研修に行っていたので、弟子時代にもその思いは強いままでした。32歳の時に念願叶って助成を受け、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校で研修をスタートしました。

ロンドン芸術大学の授業ではまず「あなたはどんな表現がしたいのか?」と問われます。「こういうことがしたい」という答えに対し、到達目標への考え方や取り入れるべき技術、参考資料を先生がアドバイスしてくれ、個別に課題が進んでいきます。日本と異なるのは、結果よりも製作過程の紆余曲折が充実しているかを重視して評価されること。「あなたらしいことが大事」という国民性が教育方法の違いにも反映されていることにとても驚かされました。クラスでは多種多様な環境・文化・特性を持った人たちが集まり、お互いを受け入れ共に進んでいく姿勢に深く感銘を受けました。自分と他人を許し共有しながら進むことの重要性を学び続けた1年間でした。

研修中は大学以外にも、日々様々な演劇関係者にポートフォリオを持って会いに行き、「私はこういうことがしたい、あなたの力になれることはないだろうか」とプレゼンして回りましたね。講演会に行ってアピールして美術助手の仕事をやらせてもらったり、紹介してもらったプログラムに応募してナショナルシアターデザイン室で模型をつくったり、エジンバラ演劇祭公演のお手伝いをしたり、、。そうした頑張りが実って研修を終える頃には知り合いも増え、いろいろなチャンスが巡ってくるようになりました。漠然とした不安を抱いて渡英しましたが、最終的には大きな達成感と自信を持って帰国することができたのです。


ロンドン研修時代の写真

─ イギリスに行って自分の舞台への思いにどんな変化がありましたか?

演劇を製作する立ち位置には「自分の内側の世界観に引きよせる」という表現方法と、「自分の外側に出て行って共有する」という表現方法(等)があります。渡英前は前者の職人的な傾向を好んでいたのですが、帰国後は後者のコミュニケーションの中で創作していく方法も取れるようになりました。また公共劇場での研修の影響からか、芸術という手段を用いて社会や人に貢献・還元できる公共性の高いものがやりたい、芸術を娯楽としてだけではなく社会サービスの一環という位置でお客様に提供したい、とも思うようになりました。もちろん相変わらず独自の世界観を深く掘り下げた作品も、嗜好的でエンターテイメント性の強い作品も大好きですが。いずれも根底にあるのは演劇を観ている人に「人間はすばらしいものである」ということを伝えたいということですね。前向きになって勇気を得て劇場を後にしてもらいたいのです。


『GANTZ:L』(2018)ロンドン帰国後の最初に手掛けた思い入れのある作品。第46回伊藤熹朔賞新人賞受賞(2019)

─ 舞台美術の仕事の流れを教えてください。

まず台本を読んで観客に伝えるべきことは何か、どんな印象が残って欲しいかを考え、自分の理解のためのリサーチやスケッチを行います。次に演出家と各シーンをどのように効果的に視覚的に展開するか話し合います。演出プランと自分の所感を織り混ぜながら具体化するために、平面図や装置の完成イメージ画を描き起こします。この時に照明がうまく照らせるか、役者が美しく見えるか、演技が機能的に行えるか、等を考慮して図面上で緻密な検証を行います。同時に模型を作って立体の見え方の確認も行います。大道具や小道具、カーテンなどの布もの、飾りの電飾など様々な要素のバランスをとりながら、細部も段階的にブラッシュアップを行います。


『町田くんの世界』(2023)の舞台模型

ここまでは個別の作業ですが、お稽古が始まったらカンパニー全体で進んでいきます。お稽古での変更点を図面に反映させたり、大道具を発注したり、照明/音響/映像などの技術的な内容を舞台監督と共に解決したりしながら1ヶ月半ほどお稽古に付き合います。劇場に入ってからは今まで想定してきたことが思ったように調和・機能するかのチェックになります。限られた時間の中でいつも苦しんでいますが、この時間が1番手応えがあるときですね。自分の手の中で生まれたアイディアが演出家と出会って変わり、お稽古場で成長し、大道具工場で実物に立体化され、劇場で役者/照明/映像/衣裳/音響と一緒になり、お客様をお迎えして完成して羽ばたいていく、一連の成長録を共に歩むのはいつも喜びがあります。また初日の公演を観て、いつも舞台美術はテーマを効果的に観客に伝えるための起動装置という役割なんだと感じます。


『テンダーシング』(2021)の衣裳デザイン

─ 仕事上、大切にしていることはなんでしょうか?

舞台芸術はチームワーク作業なので、自分の専門分野を深く探求しつつも全体の方向性をしっかり見定めなければなりません。そのために常に心をオープンにしておくことを心がけています。自分のこだわりばかりに固執せず、オープンな心と表情、姿勢で耳を傾け、人の意見も自分のアイディアも客観的に向き合いたいと思っています。それから常に新しくいたいという気持ちがあります。自分の見たことないものを創りたい、新しいことをしたいと常にアンテナを立てています。


『掃除機』(2023)。多数の新聞に劇評掲載され、舞台美術についても賞賛された。「もう一段階上に行けたかな」と感じられた作品。

─ 創造力を高めるために日々心がけていることはありますか?

創作が上手くまとまらない時や新しい人・物事が連続すると心がざわざわしがちです。自分がよりよく活動できるために周囲の環境を常に整えます。欲しいときにすぐに欲しいモノ・コトにアクセスできるように机の周りもそのつど片付け。演劇のお稽古場や舞台の袖中は常に片付いていて非常に機能的です。「モノの位置は常に同じ」という舞台仕事の鉄則から学んだのかも(笑)。

─ 最後に、学生へのメッセージをお願いします。

「大人は楽しい」ということを伝えたい。大人になるほど自由度が上がると感じますし、若い時よりも、今が人生の中で一番楽しい。大人を楽しく生きるためにまずは今の自分をしっかり見つめることが重要です。自分の適性をよく知って上手く花開ける場所を作って、集中できる時間の限り自分の興味に取り組んでほしい。

編集後記:
「ここに東京中の劇場の模型があります」仕事場の棚に並ぶいくつもの小さい舞台模型たち。演劇好きでミニチュア好きの私はときめいてしまった。
これまで大勢の方に話を聞いたが、子供の頃からのやりたいことがブレずに実現できたという人は稀であり、池宮城さんの夢への一途さを羨ましく思った。また、それを極めていく中で、新しいチャレンジへの一歩を常に「ひとり」で踏み出してきた勇気に心を打たれた。

取材:大橋デイビッドソン邦子(05通デコミ/グラフィックデザイナー)
ライタープロフィール
名古屋出身。グラフィックデザイナー/ライター。2006年に武蔵美通信コミュニケーショデザインコースを卒業後、渡米し、2008年よりスミソニアン自然歴史博物館でグラッフィックデザインを手がける。2015年より東京在住。現在は日本の伝統工芸の存続を支援するNPO、JapanCraft21のデザインを担当している。

撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)

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